サイトアイコン 桜花@元自衛官のブログ

フィクションの影響力の考察&社会的責任とはなんぞや?

 ショタドールのツイートが話題になり炎上する事件が有りました。
 ツイートの投稿者は当該ツイートを削除し、今後はこの件についてツイートしないと謝罪を出す事態となりました。

 その影響でTwitter上であるnote記事がバズり「社会的責任」という単語がトレンド入りしています。(令和2年9月1日 19時現在)

私は明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできる。“社会的責任”を茶化すのはマズいぜという話|四谷三丁目
小児(男児)を模したラブドールの購入・使用をめぐる議論がツイッター上で話題だ。 小児性愛嗜好をもつ男性の、オープンアカウントで公開された「ショタラブドール購入・使用レポ漫画」に端を欲した騒動は、ツイッター上で「ラブドール」がトレンド入りする...

 私も読ませて頂きましたが話の主旨が曖昧で意味不明な仮定が多く、何が言いたいのかよくわからないゴミ箱に捨てられたチラ裏レベルの記事でした。

現代日本で生活を捨てて船を買って海賊になるのと、その辺を歩いている小学生を暴行するのがなぜ比較になると思うんだ。考えてみてくれ。私は多分一生かかっても海賊にはなれないが、小学生を襲うなら明日にでもできる。その後捕まろうがなんだろうが、児童の心に一生消えない傷を残すことが可能だ。明日にでも。

私は明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできる。“社会的責任”を茶化すのはマズいぜという話

まず、認めてほしいがフィクションは現実に影響を及ぼす。認めてほしいが、というよりみんな認めているでしょう。だってこれが、「海賊漫画にあこがれて航海士になりました!」って話なら、みんな喜んで受け入れるでしょう、きっと。

スポーツ漫画にあこがれてプロになった人、アニメの聖地に移住した人、実在するでしょ。例を挙げれば枚挙にいとまがない。

私は明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできる。“社会的責任”を茶化すのはマズいぜという話

 とか言っているので、ここで明日にでも再現可能かつTwitterの中でしか話題にならなかった例のツイートより有名な作品を紹介しましょう。

ハッピーシュガーライフ 1巻 | 鍵空とみやき | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア
コミックシーモアなら無料で試し読み!ハッピーシュガーライフ 1巻|【真実の愛は、試されなければならない。】松坂さとうには、好きな人がいます。一緒に暮らして愛を語り合うと、とても甘い気持ちになるのです。きっとこれが「愛」なのね。彼女はそう思い...

 一見可愛らしい絵柄のハートフル漫画と見せかけて、未成年の主人公による未成年者略取、監禁、傷害、殺人、死体損壊及び遺棄、放火etc犯罪のオンパレード、しかもこれらが物語のメインストーリーと密接に関わる部分です。
 アニメ化も果たし「作者は頭がおかしい」「ハートフルボッコストーリー」等と話題になりました。
 因みに18禁作品ではありません

 翻ってコチラをご覧いただきましょう。

甘々と稲妻(1) | ブックライブ
妻を亡くし、ひとりで娘の子育てに奮戦する数学教師・犬塚。料理が苦手で小食で味オンチな彼は、ひょんなことから教え子・飯田小鳥と、一緒にごはんを作って娘と3人で食べることに!! 月刊「good!アフタヌーン」誌上で連載開始当初から話題沸騰! 愛...

 こちらは母親を亡くして二人暮らしをする父と娘がご飯を作って食べる物語です。
 娘の「つむぎちゃん」が非常に愛らしく、アニメ放映時は「子育てしたくなる」と非常に好評でした。

 アニメにもなったこれらの作品は間違いなくTwitterという狭い世界のツイートよりも社会的影響は大きいです。
 が、現実世界で「児童略取が増えた」「婚姻や出生率が増加した」「イクメンが増えた」といった影響は、統計的な数字やニュースで見られません。

 あれれ~?おかしいぞ~?

 児童略取や父親による積極的な家事手伝いという誰でも再現可能なテーマなのに影響を受けないのはなぜなのでしょう?
 フィクションを模倣するかどうかを論ずるのであれば「海賊になる」「料理をする」等の再現の難易度だけでは足りません。

 心理学で言うところの「同一視」や「取り入れ」、もっと分かり易く言えば「憧れ」や「俺もああなりたい!」という感情、つまり動機が発生するかどうかの方が大切な問題です。

フィクションの現実に対する影響(動機)

 例えば「ワンピース」の主人公は海賊ですが略奪や虐殺は行わず、基本は勧善懲悪モノである事や仲間同士の絆がメインテーマであるので、ワンピースを読んで「俺も海賊になって悪逆非道の限りを尽くしたい!」という感想を抱く人は少数派でしょう。

 「ルパン三世」や「まじっく快斗」等の怪盗モノもどちらかと言えば「宝物を盗んで大儲け」ではなく「不可能と思われるような無理難題を華麗に攻略する俺カッケェェ!」が見せ所であり、これらの作品を読んで「泥棒になって金儲けしよう!」という感想を抱く人も少数派でしょう。

 「作品のテーマ=同一視の対象」の図式が成り立つ訳ではなく、「物語に憧れを抱き、同一視し得る共感を得られるか」によってフィクションの現実に対する影響を語るべきです。

 「スラムダンク」はただバスケを扱った人気作だからバスケ少年が増えたのではなく、主人公がバスケを通じて成長していく過程やそこにあるドラマが当時の少年達の心を鷲掴みにしたので「俺も桜木花道のようにカッコ良くなりたい!」と思う少年が増えバスケブームが起こりました。

 似たり寄ったりなので以降は詳細を省きますが「キャプテン翼」や「テニスの王子様」等も同じです。
 例え実現不能でも「かめはめ波」や「スタープラチナ・ザ・ワールド」などの練習は、誰しも幼い頃に1回くらいはやってるはずです。

 「登場人物がカッコいい」という憧れと「同一化」を計ろうとする精神性が揃って初めて人間はフィクションの真似事を始めます。

 再現の容易性や作品の人気度、作品が取り扱うテーマだけでフィクションの影響を語る事は大いに間違いです。

(最後に)そもそも社会的責任ってなに?

 社会的責任?なにそれ美味しいの?

 私は投資家でもあるので「企業や投資の社会的責任」については重々承知しています。
 しかし、「個人が負うべき社会的責任」とは具体的にどこにどういった形で明記されているんですか?
 明記されていなくとも、どんな意味で定義付けされていて世間に浸透している単語なんですか?

 他人の背中にそんな抽象的で意味不明なもの勝手に載せないでくれませんか?

 親以外の大人が子供に話しかけようものなら即通報されかねない今の世の中で「大人は一人一人が子供の健全な育成に対して責任を持つべきだ」みたいな言っても全く説得力ありませんよ。

 子供の成長に関しては、親が全ての責任を負うんです。
 勝手に他人に責任を押し付けないでください。

モバイルバージョンを終了